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et craft(エトクラフト)は、
郡山市を拠点に活動する
平井岳さん・綾子さんの漆・金継ぎの作家ユニットだ。
お二人ともまだ三十代前半。
若い感性と確かな技術を持っている。
二人は東北芸工大出身。
卒業後、岳さんは五年間の漆塗りの修行を経て、
綾子さんは大学院で制作を続け、
その後、三年間のアンティーク家具の仕上げ塗装の
仕事を経て二人でエトクラフトとして独立。
伝統工芸とはいえ固くなく、若い生活者としての感性が見えてくるのが彼らの作品の魅力だ。
今回は郡山の工房でお話を伺った。
思わず使いたくなる器の秘密や、独立秘話など、
作品づくりの想いなどに迫ってみた。

et craft(エトクラフト)は、 郡山市を拠点に活動する 平井岳さん・綾子さんの漆・金継ぎの作家ユニットだ。 お二人ともまだ三十代前半。 若い感性と確かな技術を持っている。 二人は東北芸工大出身。 卒業後、岳さんは五年間の漆塗りの修行を経て、 綾子さんは大学院で制作を続け、 その後、三年間のアンティーク家具の仕上げ塗装の 仕事を経て二人でエトクラフトとして独立。 伝統工芸とはいえ固くなく、若い生活者としての感性が見えてくるのが彼らの作品の魅力だ。 今回は郡山の工房でお話を伺った。 思わず使いたくなる器の秘密や、独立秘話など、 作品づくりの想いなどに迫ってみた。

平井 岳(ひらい がく)
1988年 京都府生まれ
2011年 東北芸術工科大学工芸コース漆芸専攻卒業
2011年 漆工芸 荻房 勤務
2016年 et craft 設立
平井 綾子(ひらい あやこ)
1987年 福島県生まれ
2013年 東北芸術工科大学芸術文化漆芸専攻修了
2013年 アンティーク家具の修復工房に勤務
2016年 et craft 設立

学生時代の岳さん漆に出会うまで

岳さんは、漆を始められたのは、大学生のころでしょうか?
いや、僕は高校が京都の美術高校で、そこではじめたんです。
美術高校ーそれにしても高校生が漆に興味が沸くのは珍しいですね
ぼくも最初は違ってたんです。グラフィックデザインとか現代的なものに興味があったんですけど。ことごとく課題の締切を守れなくて(笑)。
それで、先生に「平井くんはもっとじっくりと腰を据えて制作するのに向いているよ」と言われたんです。
見抜かれていたんですね
それではじめました。
それをずっと続けてきたという感じですか
高校生の何年間かだけでは、やっぱりわからないことが多くて、大学でも続けたいなと思いました。
平井さんのお父さんも職人さんでしたよね?やはりそういう影響はあったんでしょうか?
そうですね。分野は違うんですが、やっぱり、すごいなあと思います。仕事に対して、手を抜かない。 あとは就職のときにも理解がありました。 母は就活のとき、合同説明会とかの情報をメールをくれて、 「気が向いたら行ってみる」みたいな返事をしていて(笑)。 父には、就職活動の時期にも、「ずっと漆を続けてきたんだからそれを続けられる環境に身を置きなさい」と言われました。
お父さんが、職人の道へ背中を押してくれたわけですね

“独立”

岳さんの親方さんというのはどんな人だったんですか?
親方は東京の人なんですが、勤めていたのは茨城です。親方の息子さんが茨城にいて、そこで漆を栽培して、木から取り出すところから塗りまで、すべての工程を会社でやるというスタイルでした。それの下塗りをして、それを東京へ送って、仕上げをして販売するっていう流れでした。
ほんとうに最初から最後までという感じですね
そういうのは珍しいんです。普通は完全に分業で。福島県でも会津にいけばほんとにきれいに別れてる。 でまあ、その会社に五年間勤めて、勤めてっていうか修行なんですけど(笑)。
職人の世界ですから、修行なんですね
その五年間、綾子さんはどうされてたんですか?
私ははじめの二年は、東北芸工大の大学院にいて、 アート作品を発表したりして活動していました。 それで卒業になって、 三年目には茨城に来ました。
それは就職で?
いえ、とりあえず行ってみたらなんとかなるっていう感じで。すごい田舎町で仕事なんかないよって言われてたんですけど、 二日くらいで決まって(笑)。
そこではどんな仕事をされてたんですか?
アンティークの家具を塗装して仕上げる仕事でした。 いまと違って塗料は化学的なものもつかって塗装していました。 その室なんかは、独立するっていうときに社長にいただいたんです。 二つで三万円。っていう破格の値段で。 ここに入らなくて、そこの窓枠とって 毛布かまして大工さんとロープで引き上げて、 でも上がんないっていうときに、 荷物届けにきた宅急便屋さんに手伝ってもらって(笑)。
人力で上げたんですね
もう二度と出せない(笑)。
そして、岳さん三年目のときにお二人の生活が始まって、 独立したいという思いはいつ頃から考え始めたんでしょうか?
僕は独立したいっていう思いは全然なくて。 言い出したのは奥さんでした。 どちらかというともっと勉強したいっていう思いはありました。 普通塗りの仕事って修行は五年って言われてるんです。 その五年間の終わりが見えてきたときに、 自分の仕事が惰性になってしまってるっていうことにも気づいたんです。 作家っていいものを作って、認めてもらってまた作るっていうサイクルがあると思うんですけど。自分がやっていた仕事は「締切までにひたすらやる」。仕事の技術は上がっていくんですけど、自分で考える力が上がっていかないなって思っていました。
あとは、隣で見ていて、つらそうではあったんですね。 朝早いし、残業がすごいし。
職人さんの世界の厳しさですね
この人の性格上、修行しても修行しても、足りないって思うと思ったんです。 修行して修行して、その先に独立しても、 漆の場合は場所が変われば、ゼロに戻っちゃうんです。 だったら早めに独立するという方法もあるなって。
独立していかがでしたか?
想像していたことと全然違いました。 前に会社にいたときは、儲けを出さなきゃっていうプレッシャーの中でやってたんです。がんばって「お金、お金」って言っている感じで。独立したら、そうならないで作品づくりに専念するぞって思っていて。ところが、もっと「お金」って言わなきゃいけねぇぞ」ってなって(笑)。とにかく最初の一年は必死だったね。
仕事とるのに必死でしたね。
独立当初は、これが正しかったのか?という自問自答がありました。いまでは、これでよかった。ラッキーだったなあって思っています。いまでも不思議なんですけど、何で続けられているんだろう?って、おかしくないか?って。
それはお二人がある意味タフになったということでしょうか
考え方が変わったよね。
仕事はくるときはくるし、こないときはこない!っていう(笑)。
割り切りができたー
最初はほんとに仕事がこないことに不安でした。 いままでハードに働いていた分、仕事が来ないっていう状況が耐えられなくて。
息抜きに釣りにでも行ったら?ってすすめても、、
罪悪感で行けなかった。
あのときの自分には、どうせ忙しくなるから、釣りにでもいけって言いたい(笑)。
あはは
たくさん営業もしたんですか?
いや、でも「仕事ください!」みたいなのはなかったですね。やっぱり人の縁で、つながってっていう。マルクト朝市(※福島市で定期的に開催されているクラフトや食べ物などの市)は大きかったですよ。金継ぎっていうのがあの場所を通して口コミで広がって言った感じがありますし。
金継ぎといえばet craftっていうことも耳にします
マルクト朝市に声かけてもらってなかったら うちはもっとひっそりやっていたと思う。
あとは、須賀川の米屋(よねや)さんも早い段階で声をかけていただきました。 最初は器をちょっと直してくれないかっていうご依頼があって、それで気に入ってもらえて、et craftのオリジナルでお盆やお箸も使っていただいています。
あとは、郡山市のうつわ屋さんに何の気なしに見に行って、はいったら、すごく大好きな作家がいたりして見ていたらオーナーの人が話しかけてくださって。二時間くらい喋って。
いやもっと喋ってたよ。
ははは。いまはお店はたたまれたんですけど、 いろんな器の企画をやっていらっしゃいます。 今度の三月の企画もそのご縁なんですけど。
ほんとに縁のなかから仕事につながっていったという感じですね

“人が違うと答えは違う”

で独立していよいよ展示会をやるとなればオリジナルの作品をつくるわけで、 そこでまあ自分の実力を思い知りました。
というと?
et craftの展示なので二人で意見を出し合って思い描いたものを作るわけですけど、 お互いが思い描いたものがやっぱり違うんですよね。 こういうふうにやってくれないかっていう(綾子さんからの)オーダーに対して、 うまく汲み取れていなくて、違うものになっていったりして、 でもそれは(違いがあるのが)当然なんですよ。
(岳さんは)型にはまって考えやすいんですよ。職人の思考なので。
普通はこうだっていうのがあるんです。職人のセオリーっていうのがあるし。 でも当たり前だと思っていたセオリーも、必ずしも正解ではないってそのときに気づきました。 「人が違うと答えが違う」っていうことなんですけど。 職人のセオリーどおり考えると、(綾子さんの)アドバイスも「うるせー」ってなりました(笑) でも、そこでシャットダウンして閉じこもってできたものって・・ すっごい微妙なんですよ!(笑)。
私は、セオリーを無視するというか、 あえて違う工程でやってみるっていうことにもトライしてもいいんじゃないかなと思っていました。
ある意味職人泣かせですね(笑)
一個一個の工程を吟味して、展示のぎりぎりまで二人であがいていました。あーでもないこーでもないって言って それでまあいっこ納得がいったのが、こないだお見せしたものなんですけど。
塗り方を結構模索されたんですよね。木地の風合いが自然で素敵です
実はとてもオーソドックスな二つの技法をかけ合わせて塗っています。 でも同業の方に見せても「どうやってるの?」って聞かれるんです。 オーソドックスな塗り方なのに、組み合わせ方次第で同業者の人に見せてもわからない風合いになるんですね。
同じプロの方にもそういう言葉がもらえるのは面白いですね
でも教えるとみんな知ってる技術なんですけどね。
実用面でも、木地を見せすぎるとお料理に使ったときに残りやすくなってしまったり、デメリットもあるので、この塗り方は使い勝手という意味でも丁度いいです。表現でありながらもやっぱり普段使いやすいものにしたいですよね。
やっぱり美術品ではなくて道具として使ってほしいので、あまりにぴっかぴかっていうのも変でしょ。 自分たちのオリジナルとして出すものであれば、やっぱりガンガン使っても大丈夫なものを作りたい。 この塗りの技法にたどり着くまで一年以上かかりました。
一年!
散々やってやっと見つけたました(笑)。
“”

“日常の器”

器の形についてはどうやって決めていくんですか?
木地師の方にこういうものを見せるんです。(写真) だいぶ練習してかけるようになったんですけど。(尺寸で書かれている) 木地師の方は三次元で物を考えるけど、 作図を書く側は二次元なので、その違いでけっこう苦労しました。
プロダクトデザイナーとエンジニアですよね
まさにそうですね。こういう世界でもCADを使う方もいます。 自分がオーダーしたとおりに作っていただいても、 なんか違う!っていうことがあって、 「これを形に起こすとこうなる」っていうのは、 何度もやりとりしてみないとわからない部分があります。 やりとりしている中で、向こうもこちらの癖というか意図を汲んでくれるし 「これってこういうことでしょ?」という翻訳がうまくいくようになってきました。
他には木地師の方とのやりとりのなかで苦労した作品もありますか?
このタンブラーなんですけど、これは苦労しました。
これは木地師の方から「絶対にやりたくない!」って言われた大変な形なんですけど(笑)。
これは、かっこいいですね
この深さを出すのに、高速で回転している木に一気に突っ込むっていうのが必要で。 節にあたってしまうと、いっきにバーンって、弾かれちゃうんです。 その工程が難しいんです。
木製のタンブラーって他にもあるにはあるんですけど、形がまっすぐなのはなかなかないんです。
くびれているものが多いですね。それは、(木を削る工程の中で)逃げられるというのもあるんですね。 こっち(木地師さん)からもこっち(綾子さん)からも言われて、その板挟みになるのは大変ですよ(笑)。
その他にはどんな作品があるんでしょうか?
あとは落語の古典と一緒で、器の形の中にも「古典」と言われる決まった形のものがあるんです。この合鹿椀とかもそうです。 おそらく昔の人は、粟(あわ)とか稗(ひえ)をガーッとやって食べていたんでしょうね。
昔からの生活のなかで洗練されてきた形なんですね

&に託した思い

話はちょっと戻りますが、お二人とも在学中は漆の器を作っていたんですか?
大学にいたころには、漆で美術作品を作っていたんですけど。
今のような器の作品ではなく?
じゃなくて、立体作品ですね。
表現として漆を使ってアート作品を制作されてたんですね
そうです。でもアートというか単に美術作品という領域では、漆って生きてこないんです。
難しいお話です
たとえば、漆でこういう表現ができるのがすごいでしょ?と言っても、見る人には、伝わりづらかったのかもしれません。 アート作品のなかでは、「漆である必然性」を私は見つけきれなかった。 漆っていう素材は日常の中のやっぱり器や道具として私達の生活とつながってはじめて生きてくるんです。
生活の中でこその素材なんですね
そうですね。アートとクラフト、人と物、素材が何かと何かをつないでいて、etクラフトのetは「&」の語源なんですが。漆や他の素材も何かをつなぐためのものです。それは生活の中で生きてくるものです。でも必要最低限の機能というだけじゃなくて、使ってる人の生活が楽しくなるようなものにしたいですね。
et craftさんの器や道具の魅力、たくさん聞けました。今日はありがとうございました。

2019.02.12
photo&interview TORU SAGA